<?xml version="1.0"?>
<rss version="2.0" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
	<channel>
		<title>聖書Q&amp;A（上級者向け）</title>
		<link>http://www2.harvesttime.tv/news-topics/q-and-a-advanced/rss</link>
		<atom:link href="http://www2.harvesttime.tv/news-topics/q-and-a-advanced/rss" rel="self" type="application/rss+xml" />
		<description></description>

		
		<item>
			<title>聖霊の保証</title>
			<link>http://www2.harvesttime.tv/news-topics/q-and-a-advanced/indwlling-holy-spirit/</link>
			<description>&amp;lt;p&amp;gt;&amp;lt;span class=&amp;quot;initialcap&amp;quot;&amp;gt;Q&amp;lt;/span&amp;gt; ロマ書講解メッセージ「聖化の力（２）」（第28回）の中で、「復活の保証として聖霊の内住がある」と解説しておられました。そこで質問させて頂きたい内容は、「まだ全ての信者に聖霊の内住が実現していなかった旧約聖書の時代、信者の復活や救いは何によって保証されていたのだろうか」ということです。よろしくお願い致します。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt; &amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;&amp;lt;span class=&amp;quot;initialcap&amp;quot;&amp;gt;A&amp;lt;/span&amp;gt; 「復活の保証として聖霊の内住がある」と解説したのは、ロマ8：11の箇所です。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;「&amp;lt;strong&amp;gt;もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです&amp;lt;/strong&amp;gt;」&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;聖霊を「保証」と表現している聖句は、2コリ1：22、5：5、エペ1：14などです。「保証」はギリシア語で「アラボウン」です。この言葉には「保証するための頭金を支払う」という意味があります。神様の言葉の確かさにより、保証はすでにあったのですが、さらに「頭金を支払う＝聖霊が与えられる」という形でその約束の成就が始まったと理解できます。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;そこで、質問への回答を整理すると、こうなります。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;（1）旧約時代の聖徒も、新約時代の聖徒も、ともに聖霊によって復活の恵みに与ります。そういう意味では、あらゆる時代の聖徒にとって、聖霊が復活の保証です。ただし、旧約時代の聖徒たちには「聖霊の内住」は預言されているだけで、体験的知識にはなっていませんでした。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;（2）最も大切なことは、根源的な意味での保証は、神の確かさであり、神の言葉だということです。ヘブ6：13～17にこうあります。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;「&amp;lt;strong&amp;gt;神は、アブラハムに約束されるとき、ご自分よりすぐれたものをさして誓うことがありえないため、ご自分をさして誓い、こう言われました。『わたしは必ずあなたを祝福し、あなたを大いにふやす』。こうして、アブラハムは、忍耐の末に、約束のものを得ました。確かに、人間は自分よりすぐれた者をさして誓います。そして、確証のための誓いというものは、人間のすべての反論をやめさせます。そこで、神は約束の相続者たちに、ご計画の変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されたのです。それは、変えることのできない二つの事がらによって、‐‐神は、これらの事がらのゆえに、偽ることができません‐‐前に置かれている望みを捕らえるためにのがれて来た私たちが、力強い励ましを受けるためです&amp;lt;/strong&amp;gt;」&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;（3）旧約時代と新約時代の差は、以下の2点です。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;①新約時代には、イエス自身が保証となってくださった（ヘブ7：22）。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;②新約時代には、さらに聖霊が保証として与えられた。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;以上の2点は、新約時代の聖徒にだけ与えられている恵みです（今は恵みの時代です）。旧約時代の聖徒たちは、この2点を体験的に知りませんでしたが、新約時代の聖徒たちは、これを体験的に知るようになりました。つまり、さらに大きな祝福が与えられたということです。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;（4）まとめとして、こういうことが言えます。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;新約時代の聖徒たちが経験する「聖霊の内住」は、「終末的事実」が「今という時」に侵入してきた出来事です。これを専門的には、「成就した終末論（Realized Eschatology）」と呼びます。&amp;lt;/p&amp;gt;</description>
			<pubDate>Wed, 02 Nov 2011 14:32:22 +0900</pubDate>
			
			
			<guid>http://www2.harvesttime.tv/news-topics/q-and-a-advanced/indwlling-holy-spirit/</guid>
		</item>
		
		<item>
			<title>旧約時代の聖霊の働き</title>
			<link>http://www2.harvesttime.tv/news-topics/q-and-a-advanced/holy-spirit-in-ot-times/</link>
			<description>&amp;lt;p&amp;gt;&amp;lt;span class=&amp;quot;initialcap&amp;quot;&amp;gt;Q&amp;lt;/span&amp;gt; 聖霊の内住は新約時代からとのことですが（ロマ書講解メッセージの20回目より）、出エジプト31：2のベツァルエル例外でしょうか？それとも、そこに書かれている「神の霊」とは、聖霊とはまた違った意味の神の霊に当たりますか？&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt; &amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;&amp;lt;span class=&amp;quot;initialcap&amp;quot;&amp;gt;A&amp;lt;/span&amp;gt; 新約時代の聖霊の内住は、全ての信者に与えられ、取り去られることはありません。それに対して、旧約時代の聖霊の注ぎや満たしは、ある特定の人に、特定の目的のために、特定の期間だけに与えられました。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;さて、ベツァルエルの記事は下記の箇所です。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;「見よ。わたしは、ユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルを名ざして召し、彼に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たした。それは、彼が、金や銀や青銅の細工を巧みに設計し、はめ込みの宝石を彫り、木を彫刻し、あらゆる仕事をするためである」（出31：2～5）&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;ベツァルエルが神の霊に満たされたのは、出エ31：4－5の目的のためです。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;ちなみに、「神の霊を満たした」ということと、新約時代の聖霊の内住とは同じものではありません。&amp;lt;/p&amp;gt;</description>
			<pubDate>Wed, 02 Nov 2011 14:29:39 +0900</pubDate>
			
			
			<guid>http://www2.harvesttime.tv/news-topics/q-and-a-advanced/holy-spirit-in-ot-times/</guid>
		</item>
		
		<item>
			<title>水から生まれる</title>
			<link>http://www2.harvesttime.tv/news-topics/q-and-a-advanced/born-through-water/</link>
			<description>&amp;lt;p&amp;gt;&amp;lt;span class=&amp;quot;initialcap&amp;quot;&amp;gt;Q&amp;lt;/span&amp;gt; CDを一緒に聞いていた人が、ニコデモの「水で生まれる」（ヨハ3章）の意味は、ユダヤ人として生まれることだから、1ヨハ5章の「水によってくる」と「証」である「水」は、バプテスマだと言いますが、その理解は正解ですか？&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt; &amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p class=&amp;quot;initialcap&amp;quot;&amp;gt;A&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;（1）ニコデモの箇所の「水によって生まれる」は、肉体的誕生です。ユダヤ人であっても、異邦人であっても、同じことです。その意味を、「ユダヤ人として生まれること」に限定する必要はありません。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;（2）1ヨハ5：6～8の箇所は、イエスの公生涯の始まりと終わりを示しています。水は洗礼、血は十字架です。こういう言い方をする理由は、当時横行していた異端的教えを論破するためです。神であるキリストが洗礼の時に人間イエスに下り、十字架で死ぬ前にイエスから去った、というのが、当時の異端的教えです。&amp;lt;/p&amp;gt;</description>
			<pubDate>Wed, 02 Nov 2011 14:26:25 +0900</pubDate>
			
			
			<guid>http://www2.harvesttime.tv/news-topics/q-and-a-advanced/born-through-water/</guid>
		</item>
		
		<item>
			<title>蛇の一生腹ばいについて</title>
			<link>http://www2.harvesttime.tv/news-topics/q-and-a-advanced/crawling-snakes/</link>
			<description>&amp;lt;p&amp;gt;Q　中川先生は創世記3章の「一生腹ばい」を、蛇がこの時点までは立って歩いていた事が解る、とおっしゃっていますが、必ずしもそうともとも言えない気もしています。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;私的には2つの可能性があると思います。ひとつは、先生のおっしゃる、この時は立っていて今後一生腹ばいと言う説。もうひとつは、過去も腹ばいで今も腹ばいだが、今後神の計画では腹ばいではなくなる計画があったのに、その計画をやめて、一生腹ばいのままにするという説です。個人的には後者の方が説明としては、聖書を知らない人に対しては自然な説明になると考えます。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt; &amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;A　創3：14にこうあります。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;「神である【主】は蛇に仰せられた。『おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない』」&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;（1）腹ばいで歩くことと、ちりを食べることとは、同じ意味です。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;（2）それはともに、呪いであると理解出来ます。罪に対する呪いが蛇に下った、ということです。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;（3）従って、それ以前の状態は呪われていなかった、すなわち、腹ばいで歩いていなかったと理解すべきです。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;（4）結論的には、それまでは立っていたというのが、正解です。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt; &amp;lt;/p&amp;gt;</description>
			<pubDate>Wed, 02 Nov 2011 14:23:37 +0900</pubDate>
			
			
			<guid>http://www2.harvesttime.tv/news-topics/q-and-a-advanced/crawling-snakes/</guid>
		</item>
		
		<item>
			<title>天地創造の「日」</title>
			<link>http://www2.harvesttime.tv/news-topics/q-and-a-advanced/day-in-creation/</link>
			<description>&amp;lt;p&amp;gt;&amp;lt;span class=&amp;quot;initialcap&amp;quot;&amp;gt;Q&amp;lt;/span&amp;gt; 創世記の「日」の定義について質問します。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;テレビなどである国の鍾乳洞などの説明をするときに、「20万年くらいの時間を要してここまで成長した」等と説明していることがあります。現段階での私個人の聖書解釈で、この地球の歴史が果たして何億年なのか何万年なのかはっきりとはわかりませんが、恐竜のいた時代なども含め、地球が出来てからの時間経過がうまく自分自身に対して説明できません。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;さらに、「日」が24時間と言う概念は神が光を創造したときから決定していたものなのでしょうか？24時間とは、太陽があって、地球が自転するから出来る概念だとも考えるのですが。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p class=&amp;quot;initialcap&amp;quot;&amp;gt;A&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;（1）天地創造の「日（ヨム）」を24時間と取るかどうかについては、今も論争があります。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;（2）聖書では、「日（ヨム）」という言葉が数字とともに用いられた場合は、すべて「24時間」の１日を指しています。従って、天地創造の箇所も、釈義的にはそのように解釈する方が、一貫性があります。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;（3）創造の順番から言うと、１日が24時間というのは、太陽が創造される前から決まっていたことです。それに合わせて、太陽が創造されたと考えても、なんら矛盾はありません。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;（4）地球の年代や進化論に関しては、ハーベストTVステーションの「進化論と創造論」の一連の番組をご覧ください。参考になると思います。&amp;lt;/p&amp;gt;<br />&amp;lt;p&amp;gt;いずれにしても、「今ある科学的情報」を基に、聖書の意味を探ろうとするのは、間違いです。なぜなら、人間の理解は日々変化するからです。聖書は、非科学的ではなく、超科学的な表現形式で創造物語を記しています。それは、どの時代の人にも、神が創造主であることを教えるためです。&amp;lt;/p&amp;gt;</description>
			<pubDate>Wed, 02 Nov 2011 14:16:46 +0900</pubDate>
			
			
			<guid>http://www2.harvesttime.tv/news-topics/q-and-a-advanced/day-in-creation/</guid>
		</item>
		

	</channel>
</rss>
